2015年08月18日

私の今までの投資遍歴(2) 2000年半ば ライブドアショック前後から・パリバショック前後まで

前回「私の今までの投資遍歴(1) 〜2000年前半〜」の続きです。

○2000年半ば〜ライブドアショック
2004年〜2005年の頃から、2006年1月のライブドアショックまでは新興市場が急激に盛り上がってきました。
この頃の本屋の投資コーナーでは、新興市場の盛り上がりで財をなした個人投資家の成功本で溢れていました。私も何冊か買って読みましたが、業績が伸びそうな会社を見つけて、信用取引で全力買いをして、結果として「当たり」を出した人が成功するのだなと思いました。本での銘柄発掘のプロセスを読んでどうしたらいいか考えましたが、再現性があるのか偶然当たったのかが判別できず、羨ましいとは思いましたが、危なっかしく思え、「俺も出来る!」という強い確信で真似するような行動には至りませんでした。
それに、成功者が語る銘柄や盛り上がっている新興市場の銘柄は、既に軒並み割高にも見えました。これは当たり前で、株価が上がる前に仕込まないといけないものを、動意づいたものを見ていては、株式投資で儲けることは一生できません。
自分は、どういう意思決定プロセスで株式投資をしていくべきか、ということを考えて、業績動向のチェックやテーマになりそうなものを探したりしてみました。とはいえ、行き当たりばったりのところも多かったと思います。

当時はベンチャー企業のIPOが多く、IPOの公開時に抽選で当たると、かなりの高確率で利益が得られることは間違いありませんでしたので、今のSBI証券(当時はイー・トレード証券)で、全てのIPOの抽選に申し込みましたが、あえなく全て外れました。
主幹事証券はIPO株の配分の絶対量が多いものの、主幹事証券を引き受けている社数の多い野村・大和・日興といった対面の証券会社は何千万という資金がないとIPOは当たらないと聞いていましたので、トライもしませんでした。あらゆる幹事証券に口座を作って営業マンとのお付き合いもしながら、ひたすら申し込んでIPOを当てるという方法は聞いていましたが、そこまでは行動に移す時間もモチベーションもありませんでした。
(2013年〜2015年現在、アベノミクス以降でIPOの件数が増えていますが、ホリエモンブームもあって当時の方がもっとお祭りのように盛り上がっていたようには思いますが、同じ空気は感じます)

これからは中国の時代だ、ということで、外国株を扱っているアイザワ証券に口座を開いたりもしましたが、銘柄選定が出来なかったので、大して何もしませんでした。
また、この頃は円安基調で、FXでの豪ドル等の高金利通貨のスワップ狙いというのも流行り出していて、FXの口座開設をしたりして、色々な投資法を試していました。

○ライブドアショック
そんな中、ライブドアショックが起きました。
ライブドアへの強制捜査時に、大きなポジションもなく、(当時の貯蓄のレベルですが)比較的余裕資金もあるタイミングでした。新興市場の株は軒並み暴落しました。「これはチャンスかもしれない」と思い、下落率が高い会社の株から、下がっている中で割高感がなくなったと思ったものをピックアップし、いくつかの銘柄を買って行きました。
そこそこ利益を出したものもあれば、その後投資先企業が下方修正などでもっと値を下げたりして損したり、といった感じでした。

成長株投資や、決算の進捗を見て短期的な業績動向のサプライズを当てたりニュースに適宜反応するのは、常に対象企業の動向をウォッチしていないといけないし、予測の精度を高めることは、本当に難しいと思いました。プロのファンドマネージャーやアナリストの知り合いは、直接企業との面談が出来たり、仕事として投資活動に集中し、プロ同士での情報連絡をしながらやっている中、少なくとも大型株は分が悪いとも思ってきました。狙うなら、中小型株だと思うようになりました。
なお、当時は、投資信託といった投資対象の存在を深く認識していませんでしたし、効率的市場やポートフォリオのリスク分散等の意味は教科書的なことくらいを理解しているというくらいのリテラシーレベルです。
「全米No.1投資指南役ジム・クレイマーの株式投資大作戦(出版日2006年7月)」なんかが当時のお気に入りの書籍でした。
決算書の財務分析はよく分かるレベルにいました。時折、証券会社のアナリストの友人からは財務諸表の見方や注記の解釈について聞かれて教えていたりしていましたが、プロでも財務情報を全て深く理解しているわけではないのだなと思ったものでした。まあ、投資判断には専門的で難しい会計処理が分かっている必要もないし、決算書は過去情報なので、企業財務の開示情報の細かいところが分かるかどうかは、ほとんどの場合、投資成果に大した影響は与えませんので(たまに、そういうところのヒントが役立つことがあります)。

ライブドアショックでの冷や水もありつつ、マーケットはまだまだ盛り上がっていました。
2006〜2007年頃は、今では「プチ不動産バブル」と言われる頃で、本や雑誌での個人投資家達の成功談
は、多くが当時「不動産流動化銘柄」と言われた不動産会社への投資で当てた人たちが印象的でした。
当時は不動産まだまだ熱い!という状況でしたので、乗り遅れながらも関連企業のIR情報を見てみましたが、P/Lは素晴らしい業績だけど、B/Sは負債比率が高く、不動産価値が下がって物件が売れなくなったりしたらヤバいんじゃないかと思い、株価のモメンタムはまだまだ強そうでしたが、投資しようという気にはなりませんでした。
一世を風靡した不動産会社の多くは、リーマン・ショックの後に消えて行きました。

今でもよく覚えているのは、エスグラントコーポレーションでした。私とそう年齢も変わらない情熱社長がセントレックス市場に上場し、積極事業展開をして業績を伸ばしていました。若いし会社の勢いも感じましたが、負債比率に懸念のあった不動産関連企業の中でもひときわ負債比率が高く、とても手は出せないなと思いました。
*2014年に発売された杉本宏之社長の著書「30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由」は、当時のことが克明に書かれていて、非常に読みがいのある1冊でした。

○パリバ・ショック
2007年に入ると、メディアのニュースで時折「サブプライム」という言葉が聞こえるようになりました。
2007年8月にはパリバショックと言われるサブプライム問題が表面化するイベントも起きました。
私自身に深い分析や洞察があったわけではありませんが、経済は一見順調そうでマーケットも好調な一方、パリバショックのような氷山の一角が崩れたようなイベントの発生に、何かおかしなことになっているのではないかという違和感・キナ臭さのようなものを感じたのを覚えています。
投資でこれといった成果がなかったことも影響していたのでしょうが、2007年の夏から秋頃に、全体的に市場も割高で、割安な投資対象もないように思え、ほとんどの投資のポジションを解消し、自分の資金のほとんどをキャッシュにしました。

次回に続きます。




ラベル:投資遍歴
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