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私たちは何らかのモノを買うとき、意識的か無意識的かにかかわらず、値段が価値に見合った価格かどうかを見極めて、モノを買うかどうかを決めています。
(ここでは、便宜上、あらゆるサービスも含めて「モノ」と言います)
私たちの住む世の中では、今日の食事、必要な者・欲しい物の購入、どこかへの移動、何かのサービスで受ける便益から、果ては、離婚の解決や人を傷つけたり怒らせた場合の代償にまで価格が設定されます。
モノの価値はどのように測るのか、これは経済社会を生きていく上で極めて重要な問題です。
価値イコール価格ではありません。
厳密な定義は難しいですが、本稿では、価値とは、ある人がモノに見出す便益を金銭的な数値で表したモノの金額とします。価格とは、価値を交換した対価の額、要するに、実際に取引が成立する値段、あるいは売買で実際に支払われるお金の金額とします。
「価値」とは主観的なものでもあります。
モノを売る人は、自分の売りたい「価値」よりも低い値段では売らないでしょうし、買う人は、自分の買っても良いと思う「価値」よりも高い値段では買わないでしょう。
モノの価格が、買う人の価値以下で、売る人の価値以上の時に、経済取引は成立することとなります。両者の価値の間で客観的な「値段」が付いて、取引が行われることとなります。
当たり前の原理原則ではありますが、
・買い手は価値(買い手が納得する価格)が価格より高いと買う。
・売り手は価格が価値(売り手が納得する価格)より高いと売る。
ことによって取引は成立します。
価値は、好みによって人それぞれであり、場所・タイミング・他の代替品・供給又は需要の制約等、様々な場合によって変わります。
分かりやすい例では、近くのコンビニで売っているエビアンの水が150円で売られているとします。富士山の登山中に同じエビアンの水が500円で売られているとします。
これは、富士山の山に運ぶのに搬送料が掛かるためだと説明されることがあります。が、これだけでは売り手の都合だけですので、正確ではありません。
山を登っている人は、疲れとのどの渇きから今すぐに水が欲しいと思っており、かつ、その山中の売店でしか水を買うことが出来ません。日常生活では150円で買えるものでも、その場の価値では500円で満足する人も多いでしょう。売り手は、買い手のそのような事情を逆手に取って高い値付けをしているとも考えられるわけです。そう、買い手にとっても日常生活以上の価値があるわけです。
経済学によると、1番多くの人が納得する価格で成立するとされています。
価格が高ければ需要(買いたい人)が減り、価格が低ければ需要が増える。
価格が高ければ供給(売りたい人)が増え、価格が低ければ供給が減る。
売り買いが自由な市場では、買う人と売る人が最も多くなる価格になるように調整されるマーケットメカニズムが働くため、この需要と供給がバランスし、満足できる人の数が最も多くなる最大公約数で一致した価格が市場価格となるというものです。経済学では、価格が需給の均衡する価格より上であれば生産者余剰が生じており買いたい人がもっと出てきて価格の下げ圧力となり均衡価格へ行き、逆に、価格が需給の均衡する価格より下であれば消費者余剰が生じており売りたい人がもっと出てきて価格の上げ圧力となり均衡価格へ行き、結果、価格は需要と供給がバランスするところで落ち着くと説明されます。
ここで、買う人にとっても売る人にとっても価値>価格である場合に取引が成立します。無理やりでなく本人の意思である限り、成立した価格において、みんな納得しているということです。
ただ、マーケットメカニズムが働くためには、オープンで公正な市場で取引参加者が十分に多いことが前提です。現実社会では、需要と供給がマーケットメカニズムが働くほど十分にあるとは限りません。その市場の歪みは、多くの場合、ビジネスチャンス(事業上の収益機会)となるわけです。
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